子宮体がんだって

2018年2月子宮体がん1cとわかったばかりの私、検査や手術、かかった費用の事など寛解と言ってもらえる日まで書いていきます。

崖っぷち・・・抵抗力

今朝は昨日よりも大分良くなった。痛くてさわれなかった傷の部分にも軽くなら触れても大丈夫になり椅子に座ってキーボードも両手で打てるようになった。寝ている時、体を動かすのもだいぶ楽にできるようになってきた。一時はこのまま床ずれというかお尻から腐ってくるのではと心配した、それほど痛かった。

寒さが(という程寒くないのだけど)悪いようで、昨夜も濡れタオルで体を拭いたあとくしゃみと寒気がしたが電気毛布を入れてようやく収まった。今朝も暖かくしマスクをかけている。マスクは鼻に入る空気が湿るせいか暖まるせいか喉のイガイガが楽になってくる。

抵抗力がほとんどなくてギリギリの崖っぷちにいるように思われる。本当にほんのちょっとした事ですぐ喉が痛み、鼻水が出る。

家事は洗濯だけ辛うじてやっているが後は皆主人にしてもらっている。文句も言わずやってくれているのがとてもありがたい。申し訳ないけれどもうちょっと甘えよう。

 

痛くて・・・炎症を起こしているときの食べ物

今朝は痛みも少なくベッドから起き上がるのも楽だった。が起きてしばらくすると喉がいがいがしてきたので用心して喉にタオルマフラーを巻き使い捨てカイロをつけた。今回の発端もこの喉のいがいがと鼻水だった。抵抗力が落ちているのだ。引き続き気をつけなくちゃ。

さて、ずっと炎症を起こしていたがその時食べ物と炎症の痛みが密接に関連している事がわかった。お肉系を食べるとテキメンに痛みが増すのだ。どういう仕組みになっているのだろう?わかってから御飯と野菜ばかり食べている。

 

 

痛くて・・その後

抗生剤、痛み止めが通常の用法では効かず絶えずズキズキとした痛みに身動きさえならず苦しんでいましたが思い切って倍量飲みだしてから(自分の責任です。お勧めはしません)やっと効果が現れだしてきた。

何とか動けるようになったのでかかりつけの産婦人科に行って診てもらいましたが感染はおこしていませんとの事でした。←だってあれほど薬飲んだもの~。それでも37度前後の熱が続いていたのです。

傷は私が想像していたのとは違い導尿のせいではなく、手術の時についたものでしょう、手術の時は膣の部分からも器具を入れたり大きく広げたり糸をかけたりしますから。との事でした。

とりあえず現時点では感染はおこしていないし、体感として良くなっている感覚はあるし、一安心でした。

病院からは痛み止めと胃薬しか出ませんでしたが引き続き手持ちの抗生剤がまだ4錠あるのでそれは飲みきるつもりです。

傷の痛みの他に、まだお腹の中で内臓の落ち着き先が決まっていないような不安定な痛みがあり肩を下にした横向きの寝方ができません。

ブログなどで退院後1週間で仕事に出たとか書かれていらっしゃる方もおられますが、内臓を取るってやっぱり大変なこと。よほどの理由がなければ大げさすぎるくらい養生期間を取る方が良いと私は思います。今回の私の苦しみの原因も養生不足、入院中動きすぎた、帰宅してからも動きすぎたからと思っています。

 

執念でがん発見・・・入院中聞いた話1

入院中何人かの方とお話をする機会がありました。

その中の一人のお話です。

年齢は60後半くらいかな。きっかけは市からの検診のお知らせだったそうです、期限は明日までで勿体無いから受けておこうかくらいの軽い気持ちだったけれど、結果「なにかあるけれど、まあ心配ないでしょう」と言われたのですって。その時は自覚症状は何も無かったそうです。でもその方は納得せずもっと調べて欲しいと2回検査を(どんな検査なのかはお話なさいませんでした)重ね「なんともない」と言う結果だったそうですが、それでも納得できず大学病院へ回されたそうです。大学病院でも結果は同じだったのですが食い下がって詳しい検査を受け、やっとダグラス窩という隠れた場所のがんが見つかったのだそうです。それで手術と言うことになりましたがいざ開けてみたら予想以上の広がりでたいした手術も出来ず、その後は抗がん剤での治療になったのだそうです。抗がん剤も色々試し、今は合うものが見つかって4年になるそうです。今年からその薬が保険適用になり嬉しいとおっしゃっておいででした。病名は腹膜がんという事でした。限度額の制度は同じ病院でも入院と外来では別計算になるのでここ4年、毎月15万円くらいかかっている!というお話でした。

担当の医師が「今だから言いますが余命1年あるかどうか」と言われるような状況だったらしいです。そんな状態でも自覚症状がないのですね。それにしても何度もの検査を重ねがんが見つかり、治療もうまくいき、高額な治療費を払い続けられる家庭の状態があり、運も意思も強い方だと思いました。

私の導尿後の傷の痛みはまだとても痛みます。抗生物質、痛み止めを引き続き飲んでいます。

術後10日の現状と入院に持って行った肌着のこと

4月16日月曜日に手術をして10日です。手術した部分の痛みはあまりありません。お腹に力をかける姿勢はまだ辛いです。3キロ以上の重さがあると思われる物は持ちません。これは開腹手術の人とは大きく違うと思います。

ただ私の場合、導尿がうまく行かなくて手術直後から排尿で苦しみ、導尿の管が抜けてからも痛みと腫れでひどく辛い思いをして、今でもまだとても痛いです。入院中何度も訴えたのですが取り上げて貰えず、昨日はとうとう耐えかねて家にあった抗生物質と痛み止めを飲みました。運動が大切ですと入院中から口を酸っぱくして言われていたのですが、家から出ずほとんど歩きませんでした。今朝は少し楽になったようです。きっと感染を起こしているに違いないと思いますが自分では見えないので。

 

話は変わりますが手術後用として用意した肌着ですが、術前の注意ではいつものサイズより大きなものと書いてありました。それで私はグンゼの快適工房シリーズシャツとズロース、5分パンツを一組として三組用意しましたがこれは大正解だったように思います。サイズはいつもと同じでしたがパンツはゴムがみぞおちまで来る深さで傷に当たりません、いっさい締め付け感のない全体のたっぷりさ。シャツの裾も腰まで充分覆う長さ。柔らかな肌触り。何をとってもこれ以上はないと思われました。さすがグンゼです。乾燥機で乾かしてもほとんど縮んでいないようです。

どうなるの私の体・・・術前の説明

入院した日に主治医から手術についての説明がありました。

まず私の名前を確認し、それからずっと○山○子さんと姓名で呼びながらパソコンの画面を見せたり、黒板に図を書いたりしながら説明をしてくれます。

○山○子さんの現時点での病名は「子宮体がん 1C」であること。しかし当病院での検査結果では「1A」である可能性が高いと見ています。どちらにせよ、子宮と両側付属器官は取ります。

取ると言っても模型のようにぱかっとはずれるわけではありません、まず腸がはみ出してこないように、手術する部分が良く見えるように異お腹にガスをぱんぱんに入れます。それから周りの腸や膀胱などに筋や膜で繋がっているものを腹腔鏡で見ながら色々なはさみや器具で少しずつはがしながら切り取るのです。切り取った子宮などは膣から取り出します。取った子宮などをその場で検査し、またお腹の中も見て転移がなく、浸潤もなければリンパの郭清はしません。転移、浸潤があればリンパ郭清をしますし、その範囲は骨盤内で済むかもしれないし、傍大動脈までいくかもしれません。リンパは油の塊りのようなもので血管や神経にそってあります。それを少しずつ切り取って行きます。全部除去すれば最後に膣を縫って綴じます。この傷が閉じないうちに強い力がかかったり乱暴な性交などで縫い目が破れると腸が出てきたりやっかいな事になります。

術後に取った子宮などを詳しく検査し、それから今回の病気の最後の結果が出ます。その結果により術後の闘病の方針が決まります。

とだいたいこんな話を、私が恐れている後遺症の説明を先生がした手術のうちでの発生頻度など教えてくださいながら話してくださいます。後遺症の発生頻度はとても低く少し安心しました。

私はなんとなく大きな肉の塊りを切り分ける時、膜や筋など確かにあったなあと思いながら話を聞いていました。

質問はと聞かれ、何か質問しましたが今は覚えていません、手術前はやはり普通じゃないのですね。質問も終わったところで先生の説明は終わり、病棟での担当医師から輸血などの同意書を渡されます。輸血ではエイズや、梅毒、狂牛病などまだ何百万分の1ではあっても感染する可能性があるのだそうです!!

手術前の説明はこんな感じでした。

手術後に看護婦さんに聞いたところ、お腹の中はどこも縫っていないのだそうです。腹腔鏡手術の私の場合縫うのはおへその中、膣だけです。

お腹の中には子宮や卵巣などを支えていた筋が残っているそうなのですが、それは退化萎縮していつのまにか吸収されてしまうのだそうです。何に吸収されるのかは聞きませんでした。

手術後はガスなのかおならなのかわかりませんが、腸の中で空気が動く時、感覚として腸が前、なんと言うかお腹の皮に近いほうに移動してきた気がします。その時、私の場合1部分(中ほどより少し右)だけが特に痛みました。